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HISTORY

Forth Bridge Scotland 1950.

20世紀中頃、食用鶏卵を販売するためにはひよこの性別を確実に仕分ける必要がありました。そこで当時活躍したのが鑑別師(かんべつし)という人々でした。鑑別技術は日本独自の発明であり、食用鶏卵の生産を渇望していた国々から要請を受け、彼らは世界中に派遣されていきました。

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農水省・鑑別師養成所初期の門下生たち。
全国各都道府県から一人ずつという募集内容で
受験資格を得て尚且つ合格できたのは11人、
卒業できたのは5人以下と狭き門であった。

当園創業者の故 石崎 亨は、1928年茨城県石岡市常陸国総社宮の次男として出生。土浦第一高等学校、東洋大学文学部を卒業後、農水省鑑別師養成所を修了し欧州・北欧への派遣第一号として23歳で英国、その後スウェーデン(マルメー)とデンマーク(コペンハーゲン)に渡航。養鶏業の運営・鑑別に携わり同国の養鶏産業発展とヨーロッパ全土の海外派遣事業の基盤作りに従事。たくさんの弟子を世界中に輩出しました。

1960年、国内で鑑別師をしながら地元石岡市にて養成所の同期であった妻 英子と結婚。石崎鶏園を創業。英国・北欧から持ち帰ってきたファームの文化​を反映させました。2012年7月没。

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妻である故 石崎英子は1931年愛知県岡崎市の老舗酒屋の娘として出生。岡崎市女学校(現岡崎北高校)修了後、農水省鑑別師養成所へ入門。資格認定後、東京帝国大学農学部畜産科遺伝学教室にて、鑑別技術を発明した橋本重郎教授の研究室で助手をしながら鑑別師として活動。東京都内の養鶏場全ての鑑別をたった一人で巡回していました。当時では働く女性が大変めずらしく「東京新聞」や「主婦の友」に取材されたことも。1969年には皇太子徳仁親王(現 令和天皇閣下)と上皇上皇后両陛下(平成天皇陛下)が茨城の農場を御視察した際に鑑別を披露しています。

2021年12月没​。

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